【アーティストインタビュー】#021 田村琢郎
- 1989年 大阪府生まれ
- 2016年 京都造形芸術大学 総合造形コース 卒業
注目の若手作家が多数紹介された「美術手帖 “あなたの知らないニューカマー・アーティスト100” 2016年12月号」での紹介や「Ultra Award 2015 “Post Internet”」でオーディエンス賞受賞、スターバックス京都BAL店や、sequence MIYASHITA PARKで作品が展示されるなど活躍の場を広げる注目の作家。
「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2018」で初めて拝見した時、一癖も二癖もある作品に、また面白い作家が出てきたなと驚いた事を覚えています。その後も京都BALスターバックスやアートフェアなどで作品を拝見し、ますます気になる存在になってきたので今回インタビューをお願いしました。
自己紹介をお願いします。
1989年大阪生まれです。元々アメリカで美容師をやっていて、友人にMoMAに連れて行ってもらったのがきっかけでアートに興味を持ち始めました。その後、イギリスに移った時にバンクシーの作品を見て、僕もこういうことがやりたいと思って、帰国後すぐに23歳で京都造形芸術大学に入学しました。27歳で卒業してからは、名和晃平さんがSANDWICHで制作してもいいと言って下さったので、SANDWICHで制作しながらアルバイトさせてもらっていました。2年前の台風で作業場が吹き飛んでしまったので、現在はボロボロの一軒家を購入し、そこを自宅兼アトリエとして制作しています。
作風やコンセプトについて教えて下さい。
大多数の人が共通認識を持ってることとか無意識になっているものを用いて、角度を変えて作品化することによって、鑑賞者のその後の日常に良くも悪くも影響が出るような制作を心がけています。
京都BALスターバックスで展示している黒い球体の作品「Sphere asphalt」について説明してください。
アスファルトが球体になっている理由として、道路みたいに世界中がインターネットとかSNSで繋がっていたり、どこにも気軽に行ける現状を表現したくて、地球をイメージした球体を、1番キャッチーなアスファルトで覆うっていうところからあの作品を始めました。
特に最近、コロナ禍で思い通りに動けない状況になっていて、世の中の流れ的にグローバル化について一旦ストップしようという考え方が結構広まってきていると思います。
また、中国が海上領域を侵して入ってきたりということなどもあり、ルールをもう一回キチッと決めようという意味で、道路表示のスピード制限であったり、一旦停止という言葉を球体に書くことによって、一旦グローバル化が止まった世界っていうのを表現できるんじゃないかなと思って、文字にも極力そういうメッセージがある様な文字を球体につけて表現しています。
特に最近、コロナ禍で思い通りに動けない状況になっていて、世の中の流れ的にグローバル化について一旦ストップしようという考え方が結構広まってきていると思います。
また、中国が海上領域を侵して入ってきたりということなどもあり、ルールをもう一回キチッと決めようという意味で、道路表示のスピード制限であったり、一旦停止という言葉を球体に書くことによって、一旦グローバル化が止まった世界っていうのを表現できるんじゃないかなと思って、文字にも極力そういうメッセージがある様な文字を球体につけて表現しています。
自分の優れていると思う点はなんですか?
物事を俯瞰して見れているところかなと思います。自分の主観というよりも、第三者的な目線で自分を含め人を見がちなところが作風にも繋がってるんじゃないかなと思います。
苦手なことはなんですか?
西日と冷房車(電車で冷房が効いている車両)がすごい苦手です。
影響を受けたアーティストは誰ですか?
バンクシーと名和晃平さんですね。
どんな子供でしたか?
小さい頃はあまり覚えていなくて、泣き虫だったとかしか覚えていないんですけど、鮮明に覚えているのが、アザラシの人形を悪戯心に冷凍庫に入れたことがあって、冷凍庫を開けたお母さんがビックリしたんですど、怒ることなくそのまま置いといてくれたんです。今まで2回くらい冷蔵庫は変わってるんですけど、いまだに実家の冷蔵庫にアザラシが入ってるんです。その時の小さいながらにやったった感というか、嬉しかったのを覚えていてます。北極にいるアザラシの人形を冷凍庫に入れるというのがコンセプチャルというか、物に意味を与えるみたいなところで、やり方次第で人の印象や態度が変わったりするところに快感を覚えた最初の記憶ですね。
アート以外で好きなことは何ですか?
土いじり、庭いじりが唯一の趣味です。ボロボロの一軒家なんですけど、庭部分が多くて雑草がすごい生えてくるんです。それをほったらかすと近隣住民から悪い目で見られるんで、刈ったりしてたんですけど、刈れども刈れども生えてくるんで、クラピアっていう根が横に生えていく植物を雑草対策で植え始めてから色々と植えています。植物に興味がなくて、触るもの嫌だったんですけど、土いじりしていることが心の癒しで、制作か土いじりみたいな生活になっています。興味を持ち始めてもっとこういう庭にしたいなとか考えていて、趣味がなかったので本当に嬉しいです。
1番思い出に残っているプロジェクトや作品はなんですか?
展示とかではないんですけど、芸大生の頃に職員で凄い態度が悪い方がいたんです。僕はそれはちょっとよくないなと思ってチラシを作ったんです。クオリティ高く、誰が見ても本物に見える 「京都造形大学職員大募集」っていうので、本物感満載なんですけど、ただ募集する人材のところに 「生徒に高圧的な態度を取れる方」「上からの意見にはペコペコする方」みたいなことを書いて、大学の色々なところに置いておいたんです。それがとある日Twitterで炎上したようで、ビラを回収することと、そもそもこんな声が生徒から上がっているというのは職員も良くないので改善しろとなって、そこから職員の態度が変わって、ちゃんと対応してくれるようになって、僕が嫌だなと思っていた人はそれ以降いなくなりました。自分がやった行動でそういうモノが動くってことがなかなか無いので、自分ながらにモノを動かせるんだと思った経験でしたね。
夢を教えて下さい。
都市開発に携わることです。アーティストとして、僕1人ではなく、いろんなアーティストが都市開発に携わっていけばいいなと常日頃から思っています。やっぱり生きていく場所の中に、ありきたりじゃ無い、どれくらい面白い要素があるかということを意識しながら外を歩いていたりするので、自分が都市開発でできるようなことも色々あると思いますし、将来は都市開発に携わってみたいですね。