【アートレビュー】黒宮菜菜 個展「カタストロフの器 」
今回は黒宮菜菜さんの個展について紹介します。
黒宮菜菜さんは、「トーキョーワンダーウォール2014」でのワンダーウォール賞受賞や、2018年「第21回 岡本太郎現代芸術賞展」での大作の出展、2019年大原美術館によるレジデンスプログラム「ARKO」での滞在制作とそれに続く同館での個展、VOCA展2020での佳作賞受賞など、近年その精力的な発表と研究を重ねた独創的な作風で注目を集めている作家です。
黒宮菜菜さんについて以下の記事で紹介しています。
Gallery Nomartでは2回目の個展になります。
前回の個展の際は、油画作品と重ねた和紙に染料を滲ませて描く紙作品の2シリーズの展示でしたが、今回は油画作品オンリーの展示です。
作家コメント
『カタストロフの器』によせて
「カタストロフ」とは、予期せぬ破滅や悲劇を意味する言葉であるが、そこには、破滅や破綻があったからこそ未来の再生や生命の華やぎを想起する契機としての意味も含まれていると考える。悲劇を転換させる起点としてあるのもまたカタストロフではないだろうか。
今回の展覧会では、このカタストロフとそれを受ける「器」という言葉をタイトルに入れた。わたしの近年の油彩作品には、キャンバスの周りに額縁のような形態の厚い絵具層の土手がある。これは、キャンバスを寝かせた状態にして、画用液を上から注ぎ込んだとき、液がキャンバスの側面からこぼれ落ちてしまわないように導入した方法である。制作の過程上表れたこの土手は、ヒタヒタに注いだ画用液を留まらせる役目を果たしており、その姿はまるで器のようだ。よって、タイトルにある「器」は、わたしにとっての絵そのものを意味する。カタストロフが絵の中にある状態。
わたしの絵は、ある種の物語性(小説、悲劇、喜劇、登場人物、人間の性、生と死)をモチーフとしているが、絵具で描いたイメージは画用液の侵入によって消えたり、滲んだり、ぼやけたりと破綻を繰り返す。予測のつかないイメージの崩壊と、それを別の形へと再生しようとする自身の意思。その相互関係によって絵は完成していく。カタストロフの状態が物語という側面と技法的な側面との両方を孕んで絵の中で蠢いている感覚である。本展覧会では、新しいイメージの展開として「崖の上」シリーズと「橋の上」シリーズも発表する予定だ。これら一連のイメージは、サスペンスドラマによく登場する崖の上でのクライマックスシーンや物語に転機が訪れる橋の上のシーンから着想を得たものである。追う者、追われる者、暴く者、語りかける者、思いとどまる者、とどまれない者、傍観者。そして秘密や告白や挫折や希望。人間の性が様々な形で行き交う場所。メタファーとしての崖の上と橋の上である。
黒宮菜菜 Nana Kuromiya
Gallery Nomart HPより引用
黒宮さんの絵画から放たれる独特な雰囲気は、以下の工程により生み出されます。
- 1. キャンバスにアクリル絵具で下地を凸凹に塗り、縁を盛り上げて「土手」を作る。
- 2. 絵柄で製版したシルクスクリーン版を被せ、筆で油絵具を叩きこんで絵柄を写し、さらに油絵具で着彩する。
- 3. 水平に寝かせたキャンバスに、油絵用の揮発性油、乾性油と蜜蝋を混ぜた液を「土手」のヒタヒタまで流し込む。
- 4. オイルで油絵具が溶け出すと描線が揺らぎ、下地が浮き出てくる。
- 5. オイルが乾くと表面に蜜蝋の乳白色の膜が残る。
このように何層にも様々な技法や絵具を重なることで、平面なのに奥行きを感じさせる独特な雰囲気が現れてきます。
今回の目玉はVOCA展で佳作賞を受賞した「ImaImage-終わりし道の標べに 」の展示です。サイズも大きく非常に迫力がある作品です。
美術館に収蔵させるような作品かと思いますが、現状の社会状況では美術館もなかなか動きにくい状況なので、まだ販売されているようです。マスターピースをコレクションするチャンスかもしれません。
今回の展示を見て感じたのが、
黒宮さんはサイズの大きな作品の方が良さが出る作家という印象でしたが、今回は非常に小作品も良かったです。
0号程度の作品でも黒宮さんの世界観が凝縮されており、作家としての進化を感じました。
予算的に難しかったですが、100号サイズの作品は、ため息が出るほど素晴らしい作品でした。
9月12日まで、必見です。
黒宮菜菜
Nana Kuromiya2020.8.1(sat) – 2020.9.12(sat)
13:00 – 19:00 日曜・祝日休廊ギャラリー ノマル