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西村有未「図形的登場人物(雪娘)と望春の花 」

雪娘(『ロシアの昔話≪愛蔵版≫』、内田莉莎子訳、福音館書店、1989年、P.132-133) 部分, 2019年, 530×530mm, Oil on panel

今回は、FINCH ARTSで開催されている、西村有未さんの個展の情報について紹介いたします。

西村有未さんは、東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業後に、京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程美術専攻研究領域(油画) を2019年に修了されたばかりの新進気鋭の作家です。

私は、アンテルーム京都で作品を拝見したことがありますが、作品それぞれに込めたイメージや物語がとても独特で印象に残っています。特に木の支持体に描かれた作品はとても良い作品でした。

関西での展示は中々なかったようですが、今回はFINCH ARTSさんでの展示です(FINCHさんは何でこんなにいい作家ばかり集めるのか・・・笑)。

まだまだ知名度は低いですが、これから注目すべき作家かと思います。

 

以下、公式HPより引用した説明ですが、この説明も独特です。

現在、私は「図形的登場人物」というイメージから出発した、絵を描いている。これは、民間伝承文学の研究者マックス・リュティの言葉を引用しており、簡単に説明すると「物語の展開を優先する為、個人的描写や感情表現を省略された人」を指す。

一様に、こうした扱いを行う物語には、明快な情報の欠如と単純な描写がある。それ故にこの余白には、むしろこの説明や描写の足らなさから、余計にその“欠けているもの”への重みをこちらへと想像させるものがある。そして、この重みには新たな創造へと駆り立てさせる、引力があるのだ。私はその力を借り、絵具に代替することで、絵で物語る行為とマチエールの可能性を探っている。

という考えの下、数度目の春が来た。しかし、今年は私の知る春とはかなり異なるものだった。気が付くと、苦手だったはずの以前の様相が恋しく、その想いをどうにか昇華しようと、花のモチーフを中心にドローイングを重ねることにした。モチーフに留まらず、題名も笑ってしまうほど単純なのだが、「望春の花」と決めたのだった。

その、まるで喪に服すような期間が多少落ち着くと、描けないままだった図形的登場人物をまた描きたくなった。その時、知人の言葉がふと、思い出された。

昨今、ロシア民話の「雪娘」をよく描いている。この物語の終盤では、たき火の飛び超えごっこを雪娘と人間の子供らが行う。最後に、溶けてしまうことから遊びを躊躇した雪娘が、おそらく正体を知らないであろう周囲に何故飛ばないのかと問われた結果、彼女はたき火を飛び超え、溶け消える。しかし、彼女の感情や子細な姿は語られておらず、最後にただ「湯げは、ほそい雲になって、ほかの雲をおいかけながら、上へ上へと、のぼっていきました。」(『ロシアの昔話≪愛蔵版≫』、 内田莉莎子訳、福音館書店、1989年、p.133)と描写するのみである。そうして、物語は終わるのだった。私は、この顛末までに突発的な不条理や理不尽さを感じ、そこから想像される感情を手がかりに、娘の肖像画を描いていた。

一方、同じくこの物語を知るその人は、「小さい頃読んでみて、娘は嬉しかっただろう、と感じた。現実的には、消えてしまうことは悲しいことばかりだと感じられやすいが、消えることの全てが、悲しい出来事とは限らないのではないだろうか。」という風に語っていた。言われた当時は、物語の筋を見るに正直、そうした視点に対して戸惑いや危うさを感じ、警戒すらした。だが、以前のような図形的登場人物との制作へ距離を持ち、異なる場での時間やドローイングを通じた色々な感情を処理するプロセスを経た為だろうか、気づくと、そのような捉え方も一つの考えとして想像することが出来るようになっていた。まだ、そのことについて恐いところもあり、上手く言葉には出来ないのだが。

「望春の花」と「図形的登場人物」は、直接的な関係のない唐突な組み合わせだ。だが、春のドローイングを経て「図形的登場人物」への捉え方には少しずつ変化や幅が生まれつつある。以上のことから今回の展示では、この私的な解釈によるグラデーションを一つの空間に置いてみたい、という考えに至った。

さらに、何かしらの気づきを得られたら儲けものである。

西村有未

 
望春の花2, 2020年, 330×242mm, Watercolor and pastel and lacquer spray on paper

会期は8月9日までです。みなさま是非!


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