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【アーティストインタビュー】 八木恵梨

 

  • 1994年 沖縄県宮古島市生まれ。
  • 2017年 私立武蔵野美術大学・造形学部・油画科 卒業
  • 2018年 東京藝術大学・大学院油画技法材料第一研究室 修了
  • 2018年 東京藝術大学・大学院博士課程油画技法材料第一研究室 在籍
 

スターバックス京都BAL店での作品展示やアンテルーム那覇でのコンセプトルームでの作品展示など、現役の大学院生ながら様々な場所で作品を発表している注目の作家。

 
運営者 播磨
京都BALのスターバックスで八木さんの作品「知恵の実のための実践」を偶然拝見しました。とても面白い作品で脳裏に焼きついて頭から離れず、ずっと気になる作家さんだったため今回インタビューをお願いしました。

 

 
 
自己紹介をお願いします。
1994年沖縄県宮古島出身で、8歳から東京に住んでいます。現在は東京藝術大学大学院、油画・技法材料研究室の博士課程2年生です。

妄想だとか幻のような個人的・主観的なイメージを、客観的な方法を使って出力し、共有することに興味があります。他人とは絶対に共有できない事柄を共有しようという営みの中に、新しいイメージを生み出す可能性が秘められていると考えています。
 
作風やコンセプトについて説明してください。
先ほど説明したように、個人的な妄想とか幻を描いていますが、それと同時に、「特定の幻とか妄想に執着している人間」を社会に向けて見せたいと思っています。

その何かに執着していて、妄想が深まっていく様子を、基本的に水彩スケッチで記録しています。

水彩スケッチは私にとってフレッシュなイメージをそのまま出力できるのと、資料として観やすく、すぐ乾き、かさばらない、一覧にしやすいので記録に向いているなぁと思って、水彩スケッチというメディアを使って描いています。

また、いろんな角度から私の妄想が発展していく様子を鑑賞者に見せたいので、妄想に関する資料を散りばめたインスタレーションやパフォーマンス、映像作品も作ったりしています。

2018年の1月からは「ライフセーバー」という架空の男性に執着するという作品を「LIFE,SAVE,AH~ (ライフ、セーブ、ア~)」シリーズとして作っています。

バイト先の先輩が泥酔している私を介抱してくれた時に、オレンジ色のジャケットを着ていたせいで、それがライフジャケットに見え、脳裏に焼きついてしまって、そのことを考え続けた結果、ライフセーバーという架空のキャラクターを作り上げ、彼についての妄想を2年近く続けています。また、彼に執着する自分を考察したいと思い、その「ライフセーバー」にアプローチする自分に「スイムキャップ」という名前をつけて別人格として扱い、ラフセービングしている人と救助を待つ人の2人の物語として描いています。
 
スターバックス京都BAL店に展示されていた作品について教えてください。
「知恵の実のための実践」という作品です。

2016年頃からハマってた妄想の挿絵のようなもので、アダムとイブが知恵の実をもう一度食べたいと願い、様々なフルーツを交配させて作った知恵の実をつかって人類をもう一度支配しようとする架空のお話のイラストレーションです。

私の作風は、水彩と鉛筆によるシンプルな線描と色彩なんですけど、この辺りからこういうスタイルが確立しました。妄想というものは、絵にして形にできるんだなと改めて感じた作品ですね。フルーツを掛け合わせるっていうのは、誰でも妄想できると思いますが、実際に絵にする人っていそうでいない。イメージには考えたことを共有する能力があるんだなと素朴に感じ、ターニングポイントとなった作品です。
 
自分の優れていると思う点はなんですか?
病的なまでに健康なところです!それまで自分は普通だと思っていましたが、美大に入ると、なんだかみんな寝不足で、お酒とかタバコのせいで不健康な人が多いように思いました。

私は5時半に起きて11時までには寝るような規則的な生活をしていたので、不規則で退廃的な雰囲気の人に憧れた時期もありましたが、私の作風で1番重要なのはルーティンワークかもしれないと思った頃ぐらいから、そういう憧れは薄れていきました。

健康でないとルーティーンはできないと思っているので、自分が優れている所は健康なこと、そして健康だからルーティーンワークができるところです。
 
苦手なことはなんですか?
基本的にイメージ思考なので文章化が苦手です。何かを考えるとき、脳内にイメージがGoogle画像検索みたいにどんどん出てきて、それを使って考えていくような思考の仕方なんです。

この例えは自分で思いついたのでなくて、アメリカのテンプル・グランディン博士という、自らが自閉症でありながら自閉症の子供の才能開発とかに貢献した動物学者の博士が使っている喩えで、自分もそうかも!と共感したので拝借しています。

画像が脳裏にバンッ!と出てくると、全体ではなく物事のディティールを話してしまって、話が確信に至らないとか、話が横滑りして二転三転することがあり、文章化が苦手です。
 
影響を受けたアーティストは誰ですか?
コンセプチュアルな芸術について考え始めたきっかけはジャコメッティですね。私は学部1年生のころまで写実画家を目指していたんですが、写実絵画って本物っぽく見せる技法がいっぱいあるんです。例えば、本当は艶々していないのに艶々させたり、シミを描いて時間が経過しているように見せたり、そういう技法に妙な疑問や後ろめたさを感じていました。

すごく雑な説明ですが、ジャコメッティは見ている対象の印象が刻々と変わっていき、捉えられないので縦だけは保存しておこうと細くなっていった感じだと思います。学部1年の終わり頃ジャコメッティの本『エクリ』(みすず書房、1994)を読んで、物が経過していく様子を作品にできるんだと!と感銘を受けたのを覚えています。その頃の自分にとって、己の目に忠実であろうとするジャコメッティの制作態度は革命的でしたし、モチーフに対して罪悪感がない手法なのかもと思いました。この感覚はモチーフに対して常にベストな描き手であろうという今の私と繋がります。ジャコメッティを知ってから「対象を見る」ということに関して考えるようになりました。

表現的なところで言うと、ヒエロニスム・ボスです。考えすぎとかメタファーの最高峰だと思います。おそらく1番有名なのは『快楽の園』かと思いますが、この作品について書かれた本では、「これはこの象徴で、これとこれが対応関係であるかもしれない」みたいな、無理矢理で都市伝説みたいな話がずっと展開されていて、それが面白く、自分も見た人を考え込ませる濃厚な作家になりたいと思いました。

妄想という部分ではマシュー・バーニーですね。非現実的で主観的なイメージを、現実に変換させる力が凄いと思いました。

最も影響を受けたのはヘンリー・ダーガーです。1973年に亡くなってしまったんですが、19歳から81歳までの約60年間、誰にも言わずに架空の物語を描き続けていたアメリカの作家です。死ぬ直前、ダーガーの家主が部屋の中を覗いたら、とんでもなく長い小説とその挿絵がいっぱいあることを発見し、それで作品を知られることになりました。彼は絵が上手くなかったので雑誌の切り抜きをトレースして描いていたそうです。私は、トレースをあまりしませんが、線を綺麗に整えてイメージをアウトプットするという手法や、必要最低限の線描や色彩で描くっていう表現的なところはかなり影響を受けていますし、何かに執着し続けたダーガーの生き様も尊敬しています。

最近はドリュー・ストルーザンというアメリカ人のイラストレーターにも影響を受けています。インディージョーンズやスターウォーズなどの映画のポスターのフォーマットを最初に作った人です。映画のストーリーを一枚の絵にするっていうことに惹かれてて、この人の説明的な作画の手法には、イメージの共有に関する手がかりがいっぱいあるんじゃないかと思っています。
 
どんな子供でしたか?
諸説あるんですけど、初めて喋った言葉が「うそ~!?」だったみたいで、それと関係あるか分かりませんが、本当に嘘つき野郎でしたね。

作り話ばっかりして、人を楽しませようとしていた感じですね。「あそこに幽霊がいて、井戸に落ちちゃった」みたいな作り話をしていました。
 
アート以外で好きなことはなんですか?
早寝早起きと、物ごごろついた頃からやっている、毎朝コーヒ牛乳を飲む。この時間が1番幸せです。
 
1番思い出に残っているプロジェクトや作品はなんですか?
アンテルーム那覇の300枚ドローイングです。125部屋くらいあるスタンダードルームと言われる一般的な客室に1部屋2枚づずつ飾られてるのと、ひとつの部屋に私の絵がガッと集まって展示されているコンセプトルームがあって、合計で300枚くらい、1年間かけて描きました。ホテル中の作品を全て合わせて『Island of collage」という1作品として扱っています。

沖縄ってアジアの文化が凝縮されているって言われたり、色んなものがコラージュされて出来た土地なんだなぁと思って、このタイトルをつけました。絵描きが沖縄の文化とか自然とかを調査しに行って、スケッチしたっていうコンセプトで描いています。実際に宮古島に帰って、博物館とかに行ってスケッチしたものを作品にしていて、沖縄出身だから知っていることもあるし、逆に沖縄のことは何もしらないから興味持てることもあったし、私にしかできない作品だったかなと思って印象に残っています。

もしそのまま沖縄に住んでいたら気づけなかった良さとかにも気づけたり、スケッチを通して初めて知ることもあったり、記憶を取り戻す感覚にも近かったですね。沖縄に住んでいたことは自分にとって大切な要素だったので、このプロジェクトはエモーショナルな気分になりましたね。
 
夢を教えてください。
夢は大きいのですが、人類の進化に貢献することです。

「自分の主観的なイメージを描いて共有する営みから何かを得る」っていうのが当面の目標なんですけど、後の時代の人類に良質な資料を残すことが使命だと思っていて、適した保存方法とか画材だとか、どういう風に整理していけばいいのかを調べていきたいと思っています。あとは、美術系大学ではドローイングとかスケッチの持つ、思考を整理する上で有効な手法であるという特性が蔑ろにされ、身体的な要素や潜在意識を引き出すと言った要素が強調されてているので、それだけじゃないですよねって事をちゃんと理論立てて説明できるようになりたいです。美術系大学のカリキュラムにおける、ドローイングとかスケッチの地位を再検討するような取り組みもしたいと考えています。
 
「知恵の実のための実践」
2016
1000mmx650
ワトソン紙に鉛筆・水彩絵の具
 
「新しい知恵の樹」
2019
660mmx509mm
ワトソン紙に鉛筆・水彩絵の具
(STARBUCKS京都BAL店にて展示中)
 
「LIFE,SAVE,AH~_滑車」
2020
227mmx185mm
ワトソン紙に鉛筆・水彩絵の具
 
「Island of collage_sea and boat」
2020
821mmx614mm (227mmx185mmの9枚組)
ワトソン紙に鉛筆・水彩絵の具
 
アンテルーム那覇展示風景
http://syuumatunoart.com/2019/10/30/【アーティストインタビューまとめ】/

 

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